SPECIALもしもあなたが

若くして任された社員が語る
“まさか”の実話。
それは近い将来、
あなたにも起こるかもしれません。

SPECIAL 0220代で
海外法人の経営を命ぜられたら!?
本当に務めた社員が語る!

山本 秀明

工業資材事業部ベルト事業部グループ
グローバルマーケティング部
経営学部 経営情報学科 卒

2008年入社

「まさか」を味方にして、
どんどん成長する
7つの方法
7METHODS

  • METHOD 1新人時代に力を付けるには

    人があたたかい会社だなあ。就職活動でニッタに出会った山本は、そう思ってニッタに決めたという。だが、山本が入社後に配属された工業資材事業部の国内営業の雰囲気は、決して“ほんわか”したあたたかさではなかった。「強力な先輩が多かったんです。」と山本は言う。たとえば、先輩の商談に同行した帰り道、「今日の商談のまとめをしてみろ」と言われる。答えられないでいると、「やる気がないなら商談に来るな」と怒られた。新人だから先輩のやり方を見て学ばせてもらおうと思っていた山本にとって、“まさか”の出来事。だが彼は、先輩任せにしていた自分を恥じ、自分の商談と考えて、懸命に取り組むようになったという。
    半年もすると、ひとりで取引先を訪問し、商談を行えるようになってきた。厳しさも含めて、あたたかい先輩たちに囲まれて、山本は急速に成長していったのだ。

    “まさか”を味方にして、どんどん成長する方法

    新人でも先輩に頼らず、
    「自分ごと」として
    取り組もう。

  • METHOD 2実力以上の仕事が来たとき

    国内営業を1年半。ようやく営業という仕事に手応えを感じてきた頃、山本は、海外営業へ移動となった。「やっとそろそろ慣れてきた、と思っていた頃だったので、“まさか”の早い異動でした」という。しかし、まさか、の理由は、早いからだけではなかった。当時の山本のTOEICはわずか300点台。ふつうの基準なら、とても海外営業を任せられる英語力ではなかったのだ。
    海外営業は、海外赴任とは異なり、活動のベースは日本だ。とはいえ、海外出張にたびたび出かけ、国際電話に英語で対応することも求められる。「最初の頃は英単語を羅列するので精一杯でした。でも新しい仕事にワクワクして取り組んでいましたね」と山本は振り返って笑う。
    「できるか、できないか」と戸惑うのではなく、「やってみたい」「ワクワクする」という思いで突っ走ったことが山本を成長させたのだ。

    “まさか”を味方にして、どんどん成長する方法

    ムリかも、と思う仕事
    にも、ワクワクして
    取り組んでみよう。

  • METHOD 3大きな舞台を与えられたら

    海外営業として、主に国内にいて海外の社員や取引先と折衝をしていた山本。国内営業との仕事内容の違いに戸惑いながらも、ようやく慣れてきた半年後、今度は海外赴任の辞令を受けた。シンガポールにあるNITTA CORPORATION OF SINGAPOREに駐在することになったのだ。
    やや間接的だった海外営業の仕事内容とは異なり、海外赴任であれば、どんどん直接、取引先へ出かけていくことができる。山本は自ら積極的に動いて取引先を訪問し、関係を構築していく。
    ちょうどその頃、ニッタは、インドへの進出を模索していた。シンガポールでの仕事ぶりを評価されて、山本は、インドの市場調査をするプロジェクトメンバーの一員となる。シンガポールを拠点に、日本の10倍もの面積を持つインドの各地を訪れ、実際に市場を見て、レポートをまとめるのだ。山本の前には、次々と、まさかの展開がやってきた。

    NITTA CORPORATION OF SINGAPOREの入っているCendex Centre
    “まさか”を味方にして、どんどん成長する方法

    慣れない環境でも
    自ら積極的に動くことで、
    次のチャンスがやってくる。

  • METHOD 4不安になったとき

    プロジェクトは順調に進み、ニッタはインドに現地法人を立ち上げることになった。チームの中で一番の若手社員だった山本も、取締役の1人に名を連ねた。それだけでも驚きだが、インドへ赴任するメンバーが、「まさか!?」だった。
    「せめて複数の日本人での駐在かと思っていたら、自分1人。驚きました。」
    当時、入社4年目、25歳だった山本がダイレクター(経営責任者)を務めることになったのだ。さすがに不安になった山本は先輩に相談した。先輩は「君が現地の責任者になって、さまざまな問題に直面するかもしれないが、それを恐れることはない。若い者に何か期待しているからこそ、君が配属されたんだ。だから思い切ってやればいい」と言って励ましてくれた。それを聞いた山本は「気が楽になり、やってやろう、という気になりました。」経験の足りない若手社員にも、責任ある仕事を思い切って任せる。そして上司や先輩がしっかりバックアップする。そんなニッタの社風の中で、山本は大きなチャレンジに乗り出した。

    インドの地で、現地法人の社屋が、あらたに建設されていく
    “10年後に任される”ためには

    その仕事を任されるからには
    任される理由がある。
    思い切って取り組んでみよう。

  • METHOD 5経験を役に立てる

    巨大都市ムンバイに近いプネーという街。ニッタ・インドは、“インドのシリコンバレー”とも呼ばれる、その街に拠点を置いた。山本はインド各地の企業へ営業をかけることにした。
    ニッタの製品、中でもベルトを使ってもらえる可能性のある業種は、実に広い。繊維や製紙、衛生用品、ATM。山本は、次々とそうした業界メーカーと商談に出かけた。
    相手企業からは、トップや役員が出てくることも多かった。対する山本は20代のダイレクターである。商談は、製品についてはもちろん、インドや世界経済の話題に広がることもあった。
    「やったことのないこと、わからないことばかりで、はじめは無我夢中でした。でもやっているうちに、私に何が求められているのか、どんな準備が必要か、分かってきました。」
    新人時代の国内営業で鍛えられた、“自ら考えて、次に備える”経験が、大いに役に立ったのである。

    竣工したNitta Corporation Indiaの社屋。
    “まさか”を味方にして、どんどん成長する方法

    自分で工夫して
    身につけたやり方は
    いつか必ず自分を助けてくれる。

  • METHOD 6初めての難しい仕事をするとき

    ニッタ・インドは、初年度は苦戦した。一番大きな顧客になると見込んでいた企業との交渉が決裂し、赤字となってしまったのだ。だが、徐々に山本たちの奮戦が実りはじめ、取引先も増えてきた。
    一方、山本の仕事は営業だけではなかった。現地の経営責任者としては、財務諸表を見て、さまざまな判断を下していくことも求められる。
    「賃借対照表や損益計算書を一生懸命見ました。大学で会計を専攻していたものの、現実は全然違う。最強のOJT(実務でのトレーニング)でしたね。」
    もちろん本社の上司は助けてくれるが、すべてを頼るわけにはいかない。20代社員には難しい仕事だったが、懸命に取り組むうちに経営者視点が身についていった。
    ニッタ・インドは、3年目には税引前利益ベースで黒字化に成功した。そして赴任後4年。現地化を進めるという方針のもと、山本はダイレクターの職務をインド人社員に引き継ぎ、本社勤務へ復帰した。

    Nitta Corporation Indiaのメンバーや関係者と。
    “まさか”を味方にして、どんどん成長する方法

    「こんな難しい仕事まで
    やらねばならないの!?」
    むしろ成長のチャンス。

  • METHOD 7成長した先にあるのは

    山本は現在、本社のグローバルマーケティング部で、海外営業の仕事に戻っている。部署こそ同じだが、仕事内容は同じではない。経験を積んだ山本は、以前とは比べものにならないほど成長しているからだ。
    山本が担当しているエリアは、現地法人を通して、約30の国におよぶ。
    その仕事は、より広くなっただけではなく、より深くなっている。たとえば、インドへは、これまで日本でつくった製品を輸出するだけだったが、現地での製品加工を充実させる設備投資を実施することになった。その投資を起案して予算を確保したのも、山本の仕事だ。
    「日々の業務、売り上げだけではなく、先を見据えて、どうした戦略を立てれば良いのか、それにはどのような投資が必要なのか、といったことを考えて、動くことを意識しています。自分はまだまだですね。」
    山本は“まさか”をチカラにして、歩み続けている。

    “まさか”を味方にして、どんどん成長する方法

    どんどん成長している人には
    もっと先の目標が見えてくる。
    だから、さらに成長できる。