SPECIALもしもあなたが
若くして任された社員が語る
“まさか”の実話。
それは近い将来、
あなたにも起こるかもしれません。
SPECIAL 0130歳過ぎで、
アメリカの工場を
任されたら!?実際に任された社員が語る!
和氣 厚仁
Nitta Corporation of America 取締役
大学院 生活学研究科 生活環境学専攻 修了
あなたも
“10年後に任される”ための7つのヒント7HINTS
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HINT 1バックグラウンドの
作り方化学系の学生だった和氣は、学部ではポリマーを勉強。まず化学工学で設備を学んだ後、その知識を活かして有機合成に取り組んだ。大学院では、その化合物を利用する研究を専攻した。産業界でよく言われる“川上から川下まで”を学生のうちから体験したのだ。
「もともと、一部分ではなく、全体を見たい、知りたいという欲求があったんです。それに、そういう勉強の仕方をしている学生はユニークだから自分のセールスポイントになるはずだとも考えました。」
和氣は、将来の自分の価値を意識して、研究分野を選んだのだ。
その考えは当たっていた。一つの研究を突きつめるよりも、一つの製品の一から十までに携わりたいタイプに合う会社、ニッタが、和氣を採用したのだ。“10年後に任される”ためには“将来の自分”を
想像して動いてみよう。 -
HINT 2“現場”での
経験の積み方入社した和氣は、自動改札機用の搬送ベルトを開発する技術部に配属となる。製品を開発して、顧客の評価を受け、市場に送り出し、また市場のフィードバックを受けて改良していく仕事だ。その後、製造部門に移り、工程の改善や設備の導入にも取り組んだ。
和氣は、製造現場をよく観察した上で課題点を見つけようとしたという。「そして、こう変えたいと申し出たら、任せてもらえた。上司や周囲の理解がありましたね。」現場から発想し、生産性やコスト、損益など全体を考えていく。それはニッタの企業文化でもある。和氣は製造部門で知らず知らず、そうした訓練を積んでいたのだ。“10年後に任される”ためには全体をよく見て、
考えるようにしよう。 -
HINT 3転機を迎えたときには
入社7年目の2007年、和氣は、Nitta Corporation of Americaに派遣された。
「アメリカは、いずれ行きたいと思っていた場所だった。ちょっと早いかなと思ったけれど、それもチャンスだ」と和氣はとらえた。
しかも、与えられた役割は驚くべきものだった。テクニカルマネージャーに就任したのである。「当時、副社長として赴任していた日本人の上司に『工場は君に任せる』と言われたんです。」
普通の人なら驚くであろう、この事態。だが和氣は「私は、環境に変化がないとストレスがたまるタイプ。大きな変化は歓迎だった。」
大役にもむしろ「任されて自由に仕事ができる」と喜んでいたのである。“10年後に任される”ためには環境の変化を
楽しもう。 -
HINT 4新しい環境で仕事を始めるには
アメリカで工場を任され、「自由に仕事ができる」と喜んだ和氣。
しかし意外にも、仕事ぶりはじっくり落ち着いていた。「まず、現場をしっかり見ることから始めたのです。日本の工場でもそうしてやるべきことを見つけたように。」
たとえば、日本では終身雇用が前提だが、アメリカでは社員が頻繁に入れ替わる。日本のように、作業者の熟練度に頼ったモノづくりはできない。生産を拡大するとき、日本は“人”に投資して乗り切ろうとするが、アメリカでは“モノ”に投資する。和氣はそうした“モノづくりの文化の違い”を、身をもって知っていったのだ。“10年後に任される”ためには新しい環境では
常識にとらわれずに
物事を見よう。 -
HINT 5かつてない仕事に挑むには
和氣が行って3年目、Nitta Corporation of Americaは、USPS(アメリカ郵政公社)の郵便仕分けのための搬送用ベルトを5年契約で受注したのだ。アメリカ全土の施設のためのベルト。それほどの量は、それまでのアメリカ工場の製造力では作ることができない。日本の工場でさえ、そんな本数は製造したことがなかった。
どうすれば、製造が可能になるのか。工場を任されていた和氣は、設備や仕組みで解決する施策を次々と打ち出した。「たとえ新人の作業者でも、たくさん作れる」という状態を実現したのだ。
「日本で身につけた常識では、とても解決できなかった」と和氣。それまで、しっかりとアメリカのモノづくりを観察してきたことを活かしたのである。“10年後に任される”ためにはしっかり準備して
考えたら、
思い切った手を打とう。 -
HINT 6力が通じなかったときには
和氣が取締役に任命されたのは、Nitta Corporation of Americaに行って5年目のことだった。技術サポートの責任者にも就いたため、営業現場に出ていくことが増えた。新たなチャレンジが始まった。
「お客様の現場で何が起こっているのかを、自分も学びたい。積極的に出ていくようにしました。」
しかし、社内では通用していた英語力が、営業の現場では通じない。取引先で「英語ができるようになってから来い」と辛辣な言葉を投げられたこともある。
だが和氣はへこたれなかった。「英語力をもう一段高めるためにも、どんどん出ていくようにした」。二年も経つと「ミスターワケに来てもらいたい」と呼ばれることが増えたという。“10年後に任される”ためには厳しい状態でも、
逃げずに向かっていこう。 -
HINT 7苦しい状況で成果を挙げるには
大きな受注をこなしたことをキッカケに、新しい注文も獲得できるようになってきた。
「新しいチャレンジをする風土ができてきた。少し前ならムリだとみんなが諦めていたようなことも、できるんじゃないか、というムードになっている。」
客観的に見れば、かなりの困難と思われよるような状況も、和氣が飄々と切り抜けて成果を上げられるのはどうしてだろうか。
何か事に当たるとき、和氣は、最悪の事態を想定してみるという。そうすれば、そこまで悪い事態は起こらないからだという。その上で「案ずるより産むが易し」という気持ちで取り組むのだという。
「よく“がんばる”とか“努力する”というけれど、自分では、ムリして頑張ったり努力したりしている気が一切ない」と和氣は言う。「それだけに自然に、この仕事を楽しんでいるのだと思います。」“10年後に任される”ためにはまず案じよう。その上で
「案ずるより産むが易し」
で行こう。