NITTAを知る

KEYWORD 02歴史と土台が
あるからこそ

ニッタの創業は1885(明治18)年。明治維新を成し遂げた日本が、大急ぎで近代化を推し進めていた時代です。 当時、日本を牽引する産業だった紡績業では、機械を動かすための革ベルトが必需品でしたが、輸入品に頼っていました。 ニッタは、日本で初めて動力伝導用革ベルトの製造に成功。日本の産業の発展に大いに貢献します。さらに、ニッタ製品は海外にも輸出され、品質の高さで、その名をとどろかせました。 その後、ベルトの材料はゴムに変わりましたが、現在もニッタは、ベルトメーカーとして世界的な存在であり続け、各国のあらゆる産業に貢献しています。

ベルトメーカーとしての歴史や実績をもとに、ニッタは着実に新しい分野にも進出してきました。現在では、ホース・チューブ製品、橋梁や建築用製品、エアクリーン用製品、メカトロ製品など、さまざまな分野で、社会を“やわらかく”支え続けています。

そうした発展を支えてきたのが、強い経営基盤です。 ニッタは長年にわたって、着実な経営を進め、安定した財務状況を築いてきました。たとえば、自己資本比率は80%近い水準を維持。利益率も高い実績を上げています。 その安定性の大きな要因には、ニッタが、自動車・半導体・機械・産業空調・物流など幅広い業界、市場に進出しており、特定業界の景気動向に左右されにくいことがあります。 また、海外との合弁会社であるゲイツ・ユニッタ・アジア(株)、ニッタ・デュポン(株)の存在も大きく貢献しています。ともに高い技術力を持ち、高い利益を上げ続けています。

現在、新たな製品や事業の開発にも力を注ぎ続けているニッタ。こうしたチャレンジは、歴史と実績、そして強い経営基盤があるからこそ、できることなのです。

  • 1885(明治18)年はどんな年?

    • 内閣が設置され、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任。
    • 日本銀行が初めて銀行券(日本銀行兌換銀券)を発行。
  • 世界の金色地球印

    大正時代、 ニッタの動力伝動用革ベルトは、 高い品質で世界的な名声を得た。 そのブランド名が「金色地球印」。 ニッタは早くから世界を舞台にしてきた。

  • 強い経営基盤を生むグループ会社

    ゲイツ・ユニッタ・アジア(株)は、自動車エンジンなどに欠かせないタイミングベルトとプーリのメーカー。国内すべての自動車メーカーへ製品を供給する。

    ニッタ・デュポン(株)は、シリコンウエハなどの精密研磨に必要なシステムを開発。半導体でデバイスなど最先端分野で、高い評価を得ている。

  • 自社所有の拠点は、 安定した企業力の証。

    本社ビルをはじめ、 東京や名古屋の中心地に自社ビルを保有するなど、 安定した財務資本を持つことが、 成長やチャレンジを支えている。

    • 大阪本社のあるニッタビル
    • 東京支店のあるニッタ東京ビル
      (中央区銀座8丁目)
    • 名古屋支店のあるニッタ名古屋ビル
      (中村区名駅南1丁目)